爆破されたのはチグリス(Tigris)川西岸に建つマンスール・メリア・ホテル(Mansour Melia hotel)で、事件当時は地元の氏族が会合を行っており、ロビーは混雑していた。治安当局では、この会合を狙った自爆攻撃だったことを確認した。
CNNが現場の映像を流している。すさまじい破壊力。原型をまったくとどめていない。
当初の報道では反抗声明が出ていないということだったが、翌日になってAP通信が、アルカイダ系の地下活動団体・Islamic State of Iraq が、イラクの民兵組織がよく利用するウェブサイトに犯行声明をだしたことを伝えた。テロの目的は、直接的にはアンバール州においてイラク警察がスンニ派家族宅におしいり、父親を監禁、娘たちをレイプしたことの報復措置であり、警察を統括するマリキ首相や情報省を批判している。
自爆したのは、Abu Othman al-Duliemiで、セキュリティーチェックポイントをくぐりぬけたことを明らかにした。
この声明はどうも嘘くさい。
マンスールホテルというと、客室300、高層ビルの立派な建物で、なかには中国大使館が入っている。フランスのAFP通信やアメリカのCBSテレビなどマスメディアの常宿でもある。グリーンゾーンからも近い。厳しい警備をしいていたはずだ。こんなところに入り込むには、それなりの覚悟と準備が必要に違いないが、上記のような理由では割に合わくないか(けして些細な理由といっているわけではないが)?
いずれにせよ、この事件はイラク政府や米軍側にとってダメージが小さくないだろう。
ロサンゼルスタイムスは、マリキ首相の非宗教アドバイザーのAhmad Chalabiのコメントを載せている。これはイラク政府に協力しよとするアンバル州、Abu Ghraib(バグダッド近郊の都市)、ディアラ州の指導者に対する警告であり、わざわざ警備の堅い場所を狙ったのも、指導者なんて簡単に近づける弱い存在にすぎないことを示すためだと分析している。
これまでのところ、アンバル州で8つの部族警察の部隊が創設されているが、米軍はこれを例にディアラ州でも同じような取り組みを画策してる。こういったところは、イラクでも特に不安定な地域だが、シーア派とスンニ派がアルカイダ相手にともに戦うことで、国民和解につながればとアメリカ政府当局は期待している(なにせ目下のところマリキ首相の国民和解はまったく進んでいないから。たとえ上っ面であるとしてもアピールにはなる)。
しかし、こういった事態がおこると、このアイデアもなかなか一筋縄ではいかないことが分かる。たった1日前の日曜日には、氏族長らとマリキ首相が会合をもち、イラク警察に合流するプロセスについて話あわれたというから、一寸先はまさに闇だ。
ところで、Fassal al-Gawud元知事とはどういう人物だったのだろうか。
以下は、McClatchy(米国内で31の日刊新聞を発行するメディア企業。業界3位)の記事を要約したもの。
□■□■□
Fassal al-Gawud元知事の協力姿勢は、2年前にさかのぼる。傘下の部族民をアルカイダ系民兵の掃討に向けさせる用意があると米軍に協力をもちかけたのは彼が最初だった。このとき、元知事によると米軍将校の態度に落胆したことで御破算となったらしい。
McClatchyの記者が3週間前、元知事にインタビューしたとき、元知事はアンバル州で内紛が起こりつつあることを匂わせていたという。彼は自分の命が相当ヤバイ状況にあることに気づいていた。アルカイダによって、州都のラマディー市郊外の自宅は壊され、車は焼かれ、5人のボディーガードが虐殺されたと主張する。
インタビューはテロのあったホテルで行われた。彼は赤いソファーにゆったりと座り、ずっとマルボロを手の届くところに置いていた。氏族長がよくきるローブではなく、政治家らしくスーツを着ていた。
誰がやったのか。アルカイダではないとするなら、可能性としてはマフディー軍から、元知事の仲間まで考えられる。例えば、Anbar Awakening(アンバルの目覚め)というグループは、元知事のグループ、Salvation Council(救世会議)と共にアルカイダと戦っているが、最近両者の関係がほころんできたという声がある。拷問や汚職をめぐって意見が対立しているらしい。
フセイン政権下では投獄された経験がある。二人の兄弟は殺害された。政権崩壊を狙っていたのだが、フセインはこういう地域に深く根ざした氏族を恐れていたという。
2003年フセイン政権崩壊後、アンバル州はスンニ派反乱の発生源となり、米軍と激しく対立する。多数の部族民がレジスタンスに加わるなか、彼はアメリカが指名した知事となった。2004年、海兵隊が大規模な反乱の鎮圧を行っている際、知事の席にいた。
2005年1月の選挙では、対立候補のイラクイスラム党のスンニ派政治家に敗れ知事を辞すことになったが、氏族の信頼によって一定の発言力を保持した。
2005年、アンバル州において、アルカイダ掃討を目的に米軍に積極支持を提案した最初のスンニ派リーダーの一人となった。彼には不満のある配下に仕事と目的意識を与えることと、シリア国境からやってくる外国の戦士を孤立させるという二つの意図があった。クルド人の国防省副大臣を含むイラク政府の高官は、一時的に部族民を米軍と共に戦わせるというこの提案を承認した。元知事は有力氏族長と協議し、Operation Matador(マタドール作戦)に従軍することを決断する。
氏族民は敵の隠れ家を破壊したり、チェックポイントをもうけて逃亡を阻止するなどの活躍をみせるが、作戦の終盤、2005年5月に1,000人規模の海兵隊の強襲の際、氏族民の一部も一緒に殺害されてしまう。海兵隊は、敵と味方を区別するという配慮に欠けていた。村ごと空爆したのだ。彼は米軍に失望し、仲間の怒りに直面した。ここから彼の漂流生活が始まる。バグダッドのホテル、アンバル州の安全な場所、隣国ヨルダンへとボディーガードを引き連れて常に逃げ回っていた。
アメリカから私益を引き出そうとする日和見主義者であったかどうかは別として、彼はアルカイダを掃討し、アンバル州を建て直すという戦略をあきらめなかった愛国者である。2006年11月、米軍に提案して18ヶ月後、彼はAnbar Salvation Council設立の立役者となる。
米軍はこのグループを称えるようになってから、繰り返し協力のモデルケースとして他のイラクの氏族に持ちかけている。内心、このような村人のグループが、イラク国軍全体の向上をむしばむのではないかと懸念しつつ。
□■□■□
周りは敵だらけの様子。しかも、数ヶ月前に米軍と地方の氏族が協力しアルカイダを追い出すというニュースは世界を駆け巡ったので、ターゲットとして目立つ存在だった。だから、アルカイダやイラン、あるいはCIAを持ちださなくても、殺されるべくして殺されてしまったといえるかもしれない。
しかし、なぜマンスールホテルだったのかはさっぱりわからない。
犯行グループはあの時間にロビーにいることをどうして知っていたのだろう?
日曜日にしていたらマリキ首相もホテルに滞在していたのだから、場合によってはマリキ首相も一緒に殺害できたかもしれない。なぜそうしなかったのだろう?
元知事は何度も襲われている。ということは何度も殺すチャンスがあったはずなのに、なぜわざわざ警備の厳しいところに出向いてきたのだろう?
話がまとまる直前でどうしてもやらなければならない理由があったのだろうか、それって一体なんだろう?
いまのイラクでは大きな事件がおきても、犯人や背後にいる者が逮捕されることがめったにない。事件は闇に消え、また別の事件が話題をさらっていく。この繰り返しだ。
スポンサーサイト